日本は漫画の文化が根付いていて、当然漫画オタクが星の数ほどいます。
毎回開催されるコミケなどの盛り上がりを、ニュースなどで見ててもあの熱が伝わって来ます。
ただし、私が知る限りではオタクでは漫画家にはなかなかなれないと思います。
なぜでしょう・・・?
あ、勘違いしないでほしいのですが、オタクを否定するような思いは一切ありません。
Contents
漫画オタクではマンガ家になれない。なりたければオタクを捨てろ!そして遊べ!
オタクというのはある種のことに関して非常に特化した人たちのことで、そのひたむきさには感服します。
ただ「エネルギーのベクトルが内向き」なんです。
今頭の中に「???」が一杯かも知れませんね、では分かりやすく説明します。
オタクではマンガ家になりずらい理由
「オタク」というのはある分野に置いてもの凄く詳しく、熱量も普通の人達とは比べものにならないくらい持ち合わせている人達のことをいいます。
その熱量と情熱の源泉は「好き」を通り越して、それに対する物質も情報もすべて手に入れたいという欲望からきています。
ある意味これはこれで突き抜けているので、凄いなといつも思います。
カテゴリーでいえば「マニア」です。
マニアというのはひたすら欲しいものを欲しいだけ手に入れ、自己所有し独占したいという欲が基本にあります。
オタクやマニアの感情のエネルギーは外向きではなく、内に向かうことがほとんどで「自分」が満足したいという感情で行動しています。
かたやオタクではない漫画家のエネルギーは広く外へ向かっています。
漫画家のメンタル
ヒットを飛ばすような漫画家や長年支持されている漫画家などは、広く浅く外へエネルギーが向いています。
自分の外側にいる読者(ユーザー)へエネルギーを振りまいているわけです。
なので読者の為にひたすら描いて描いて描きまくり、中には体を壊して休載する漫画家までいます。
こち亀の秋本治先生などは、昔点滴をしながら描いていたこともありました。
それはやはり〆切りを過ぎて、原稿を落としては申し訳ないという気持ちがそうさせていたわけです。
ここがオタクやマニアとのメンタルの違いです。
もしあなたが漫画オタクで、そして夢が漫画家だとしたら・・・内向きのエネルギーを外へ向けてみてはいかがでしょう。
一点集中に特化すると言っても、ある一定ラインまで行けばある程度頭打ちするものです、そしたら今度は違うジャンルに視点を移しまた突き詰めていけばどんどん視野が広がると思います。
実例
<ひろみちゃんの場合>仮名
これは私の個人的な実例ですが、以前アシスタントさんに手伝ってもらっていたとき女性のアシスタントさんがいたんですが。
彼女はコミケファンで漫画オタクでも有りゲームオタクでもありました。
そして同性愛者でもあったんですが、(これはどうでもよいことですw)とても良い性格をしてて仕事もそつなくこなしていました。
しかし、彼女が自分の漫画を一本仕上げたことは一度もありませんでした。
現在は・・・多分ですが、良きお母さんになっているんじゃないでしょうか。
<Mくんの場合>
Mくんもオタク系で、かなり偏った性格で完全なコミュ症でした。
漫画家の仕事はずっと部屋で描いてるわけで、とくに誰かとコミュニケーションを取る必用もなく人付き合いが苦手でも問題ないと思います。
しかし、そうはいっても長い人生で友達や、彼女の一人も出来なければ寂しい人生になります。
なので彼には人に対する恐怖心を克服してもらおうと、ファストフード店(ミスドとか)へ買いに行ってもらいました。
彼が言うには、もの凄い勇気がいったそうです(^_^;
店内に入るだけでもドキドキして緊張するそうです。
お昼の昼食も、食べ方が偏っていて・・・まずご飯をすべて食べてからおかずを食べるわけです。
と同時にファンタとかコーラをお茶代わりに飲むんですね。
当時、私にとってそれこそがインパクがあり、漫画にしたいくらいのキャラでしたw
しかし彼はアシスタントをやめてしまい、今何をやっているのか・・・分かりません。
彼はどこかの漫画スクール(代々木なんチャラとか・・・)にも、100万くらい出して通ったことがるとか言ってました。
<Hくんの場合>
Hくんは、超がつくほどの真面目なタイプで、もの凄い漫画の情報には詳しく私が教えてもらうことなんかしょっちゅうでした。
ある日電車が遅れて仕事に遅刻してきたことがあったんですが、駅で電車遅延証明書のようなものをもってきてましたw
いやいや、別に疑ったりしないしって話ですが、そのくらいキッチリした真面目なタイプで、その性格活かして公務員にでもなればいいのになんて思うほど。
でも彼は漫画家になりたくて、何本も何本も編集に持ち込みに行っては、ボツをくらい・・・そうこうしてるまにアシスタント業も5年くらい経っていましたね。
彼の弱点は私は知っていました、そのことも最初の頃教えてあげてたのですが・・・彼には理解できなかったようです。
その弱点とは・・・
遊ばない奴はダメ
その彼に(他のスタッフにも言いましたが)私が言ったことは、「もっと遊べ」です。
彼がしてることは、ひたすら人の漫画を読みあさることだけ。
そこからは、その読みあさった情報からしか脳はイメージを膨らませることが出来ません。
つまりスコトーマ(心理的盲点)に気がつけないし、新しい発見も発想も新展開もなにも生まれないわけです。
「遊べ」というのは、何に対しても広くということです。
「遊べ」をもう少し分かりやすく言い換えるなら、「楽しめ」ということです。
街で友人達とナンパしたり、どこかへリヤカーで一人旅したり、殺処分されそうなイヌやネコがいたらもらい受けて育ててみたり・・・
何かのイベントに参加したり、例えば鳥人間コンテストとか・・・(まだやってんのかな?知りませんが・・・w)
ニコ動に今までボツになった作品をうp(UP)して、批判コメントをあびて泣いてみたりw
自分が楽しく感じることを何でも良いからやってみることが大事なんです。
彼のもう一つの悪い癖が自己完結です。
そういう提案をしてみても、「どうせこれこれこういった結末になるんで・・・」と決めつけていました。
そういう思考回路では、視野は絶対に広がらないし人を感動させるものは描けないでしょう。
その後彼はアシスタントをやめ、バイトをしてますが今も漫画を描き続けているのかどうかは分かりません。
実体験が基礎を作る
人を感動させる為には、自身の感動経験も不可欠だと思っています。
「遊ぶ」=「楽しむ」(失敗や悲しいことも含む)というのはその経験から少しでも良いから、感動体験を得て欲しいからです。
漫画を読んで感動することももちろんありますが、じゃあその漫画を描いた人(漫画家さんまたは原作者)は漫画ばかり読んで考えついたのかというと疑問ですね。
おそらく何か過去の印象深い体験から発想を膨らませるというのが一般的だとおもいます。
今どきの人達は、ファンタジーものが大好きです。私も嫌いじゃありません。
そういった壮大なストーリーもいいですが、福満先生のような生活の足元に転がっているような小さな事も大好きです。
つまり漫画の面白さというのは、規模でもなく大きさでもなく・・・感情の共感からくるわけです。
かなり昔、山田太一原作のドラマで「深夜へようこそ」を見たとき衝撃が走りました。
小さなコンビニでの物語ですが、セリフの一つ一つが刺さりまくって何だこのドラマは!?エグいな!!!と今でも忘れられません。
それは感情の共感とドラマによる共有があったからです。
まとめ
読者⇒「あるある、俺もそういうことあったよ・・・分かる分かる」って思ってもらったら成功なんですね。
これは漫画しか読まないようなオタクやマニア的な狭い体験からは得られにくいもので、やはり実体験がものをいいます。
この記事へのコメントはありません。