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手塚治虫の大ファンでもあるのでありがたく観させていただいています、が最初は映画版でのトラウマがあり不安も正直ありました。
ところが作る人間が変わるとこうも違うものかと今では感謝の言葉しかありません。
アニメ【どろろ】リメイク版が今熱い!手塚治虫の世界観をスタイリッシュに昇華
どろろを知らない方にまずは、簡単にどういう話なのかを説明します。
時は戦国。 醍醐の国の主である景光は、ある寺のお堂で 十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。
それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、 忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。
時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。
そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。
それは、鬼か人か──。両腕に刀を仕込む全身作り物の男〝百鬼丸〟は、その見えない瞳で襲い来る化け物を見据えていた。
主演
百鬼丸:鈴木拡樹, どろろ:鈴木梨央, 醍醐景光:内田直哉
どろろ原作は未完成だが・・・
手塚治虫のオリジナルの「どろろ」はたしか未完で終わったように記憶してます。
鬼神も今作のアニメ版では十二体ですが、原作は四十以上あったと思います。
アニメは限られたシーズン内にとりあえず収めなければならないなどの制約などが絡んでるせいもあるのでしょう。
細かな設定変更などはあるのですが、それがマイナスに作用してるのではなく返って作品の完成度を上げているのですからお見事と言えます。
例えば、原作ではあまり細かな表現はなかったはずの、百鬼丸のものの見え方とかですね。
下の写真は目が見えない百鬼丸がどのようにして物を観て(感じて)いるのかを現代風に映像として解りやすくしています。
百鬼丸にはあやかし(魔物、妖怪の類)の類は赤いオーラのような映像で感じ取れるという設定です。
自分に影響を及ぼさない無害なものは灰色(無色)に見えています。
マーベルドラマの盲目の世直しファイター兄ちゃんは聴覚が凄いという設定だけで力技で押し切っていますが、いくら聴覚が凄くてもそこまでは・・・なんてやや冷めた目で観てましたw
が・・・どろろは産まれながらに殆どの肉体の主要部分がない状態でした。
目も口も鼻も耳も、手足も、皮膚までもないので感触や匂い、光、聴覚、味覚・・・の殆どを知らない、感じない状態です。
なので全身は作り物で覆っているわけですが、あやかし共を1体退治するごとに本物の肉体を取り戻していくという設定です。
それは少しずつ”人間に戻っていく”または”人を取り戻す”といった痛みを伴う演出で、非常に面白い深い効果を生んでいます。
また道中どろろ(天涯孤独の女の子)と出会い、一緒に旅をし苦楽をともにするなかで百鬼丸も作り物の体から生身の人間へと心と体が成長していくという観ているこちらも不思議な感覚になります。
生身の体を取り戻すというのは、それまでは切られても刺されても痛みを感じなかったのが生身になれば少しでも怪我を負えば激痛が襲うようになるんですから。
つまり、恐怖も芽生えるし、死にたくない(切られたくない)という生への執着心も芽生えるはずです。
こういった感情の成長も相まってこの物語は回を追うごとにどんどん面白くなります。
さらに秀逸なのが、伏線とその回収の回想シーンなどです。
非常にテンポのバランスが良く、回収のタイミングが絶妙です。
よくある失敗するパターンはやたらあちこちで、伏線をばらまくだけばらまいておいてほとんどを回収できないパターンでエンディングってやつですねw
長編ドラマや長編漫画などでときたまありますね^^;
でもどろろは謎の部分は適度に回想などで、タイミングよく答えを入れてくれるので、話も分かりやすいですね。
これは脚本家の力量にかかってる部分が大きく、誰が脚本担当してるのかなと調べてみたところ・・・納得しました。
脚本の力
脚本:小林靖子さんでした。
TVアニメ、劇場版も含め以下のようなタイトルを手がけています。
- 美少女戦士セーラームーン
- 仮面ライダーシリーズ
- ごくせん
- 進撃の巨人
- ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース
- 牙狼〈GARO〉-炎の刻印-)
- ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない
- 進撃の巨人 Season2
- 賭ケグルイ
他にも数多くの脚本を書かれています。
今回のアニメどろろの完成度の高さに納得しました。
もちろん、手塚治虫のオリジナルというベースがあってこそのアニメ版シナリオですし、小林さん一人で作ったわけでもなく多くの人達の力が結集してこの完成度へ昇華したわけです。
でも、力不足の脚本家がやるとやはり構成や展開やテンポ、そしてテーマまでがぼやけたりし台無しになることもあります。
よくあるはなしです。
私はどろろに関しては素晴らしい作品にしてくれて大変感謝しています。
どろろの深いテーマ
このアニメどろろは単純な化け物退治の話ではなく、どろろと百鬼丸を通して人間の業の深さ、欲深さや愚かさ、そして優しさを浮き立たせ再生と死を見つめ直す作品だと思います。
9話の 「無残帳の巻」のどろろの過去話では母親の究極の愛(自己犠牲)を感じさせられる演出があります。
この自己犠牲のテーマはほとんどの手塚作品の根底には必ず流れていて、読み手には不思議なカタルシスが自然とわいてきます。
漫画の神様だからではなく、手塚という人の”人間性”なんだと思いますね。
戦中戦後の焼け野原時代から元気のない人々を楽しませよう、元気にしようと漫画を描いてたのですから。
私のような邪な人間が太刀打ちできる世界ではありません、でも少しでもその才能にあやかろうと宮塚タケシの「塚」は手塚先生「手塚」から勝手に拝借したものです。
どうでもいい余計な話でしたすみません^^;
まだどろろ観てない方はぜひ観てください、オススメです。
そして最後にオープニングシーン(曲)で、制作陣たちのこの作品に対する気持ちが百鬼丸の表情で表されているので見つけてみてください。
ヒントは百鬼丸はほとんど喋りませんし泣いたり笑ったりもしません。たまに切られたりしたら苦痛で叫んだりしますがせいぜいその程度です。
ところが、オープニングシーンの最後では・・・・・これは粋な計らいでもあり百鬼丸の終着点のような気がします。
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(画像出典:Amazon)
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